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投稿時間:2001/10/05(Fri) 13:20
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
エル・ランティもしくは高橋信次師の問題
こんにちは、坊ちゃんです。
ツリー式掲示板、すばらしいです。
これは、データベースとしての機能をも有していると思います。
管理人さん、ありがとう。
こういうものを作り上げる情熱は、
いったい、どこから湧いてくるのでしょう(笑)。

それでですね、私としては、幸福の科学では、
「方便の時代は終わった」以降、
封印されている、高橋信次先生の霊言または、生前の思想等について、
このツリー式の掲示板で意見交換してみたい、などと考えておるのですよ。
私は、幸福の科学会員でありながら、「方便の時代は終わった」における、
大川隆法総裁の発言には、どうにも腑に落ちないところがあります。

もともと、私は、GLAの存在を、
大川総裁の著作で初めて知ったぐらいでありますから、
高橋信次先生の霊言についても、それほど好きではありませんでした。
しかし、もう、高橋信次ものは読むな、と言われてから、
逆にすごく気になりだしました。
生来のあまのじゃくなものでスミマセン。
でも、あれだけ高橋信次ものを出しておいて、
気にするなというほうが無理です。
それは、本をたくさん出した、大川総裁が悪い、
とか信者にあるまじきことを言ってしまいます(笑)。
でも、自己責任ということを主張する幸福の科学の教えから言っても、
正当な主張だと思います。

まあ、とにかく、すこしずつ意見をカキコしてみます。
人気がないようなら、やめます(笑)。

投稿時間:2001/10/06(Sat) 00:37
投稿者名:kouji
Eメール:
タイトル:
Re: エル・ランティもしくは高橋信次師の問題
坊ちゃん、こんばんは。

高橋信次さんの本は、三宝出版から出ています。
幸福の科学の本が並ぶぐらいの本屋にならきっとあると思います。
私のお勧めは「心の発見」(神理編・現象編・科学編)、
「心の原点」「人間釈迦」でしょうか。
人それぞれ好みがあるようです。

「方便の時代は終わった」「太陽の法」に書かれている内容と、
生前の高橋信次さん自身が書いた本の内容とを、見比べてみると、
どう食い違いがあるのか、また、違った観点から勉強になるかもしれません。

投稿時間:2001/10/06(Sat) 08:40
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
koujiさんへ
さっそくのレス、ありがとうございます。
ついでに、管理人さん、ふつーのほうの掲示板見ました。
レス、ありがとうございます。

さて、生前の著作ですが、私が持っているのは、
『悪霊』と『原説般若心経』です。
その他のものも、すこしずつそろえていきたいと思います。

2ちゃんねるでも、高橋先生について、いろいろ話したんですが、
知れば知るほど、また、考えれば考えるほど、
現在の幸福の科学の、柱となる原理のようなものは、
高橋信次先生が説いたものを継承、発展させたものである、
と、つくづく思うのです。

高橋先生は、宗教と科学の統合に情熱を燃やしておられたようですが、
「幸福の科学」も「科学」と銘打っているぐらいですから、
この部分についても、高橋先生の影響がみてとれます。
ま、名前の由来の直接のきっかけは、日蓮の霊言からきているそうですが・・・。

まあ、これから、かなり大胆な仮説を出したりして、
皆から嘲笑されるかもしれませんが、とりあえずは、こんなところで。

投稿時間:2001/10/08(Mon) 09:38
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
釈尊の降魔成道
今、高橋信次著の『原説般若心経』を読んでいます。
そのなかの第3章「釈迦の誕生とバラモンの時代」に、
釈尊の降魔成道の記述があります。

大川総裁も、『釈迦の本心』等で、やはり、釈尊の降魔成道の様子を描いています。

高橋先生と大川総裁の釈尊の悟りの記述が、いかに似ているか、
一部を引用して、比べてみたいと思います。

投稿時間:2001/10/08(Mon) 09:40
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
『原説般若心経』の記述
まずは、高橋先生から、梵天に化けた魔が発した言葉の部分を引用。
----------------------------------------------------------------
カピラの王子、シッタルダーよ、お前は城に帰りなさい。
カピラには、父王もお前の母も愛する妻子も、多くのクシャトリヤ達も待っている。

どんな修行をしても、人間は人間、所詮悟ることはできないのだ。
地位と権力のある者が偉大な人間なのだ。

だから、シュドラーを自由に使い、多くの女にかしずかれるといった
優雅な生活をすることを、神は許しているのだ。

お前がいかに慈悲深い心を持っても、
我欲の塊りのような人々を救うことはできないだろう。

骨と皮になって修行しても無駄なことだ。

お前が修行を捨てて、城に帰れば、そこには、
やがて全ヨジャナー(全世界)の王としてすごせる優雅な生活が待っている。

シッタルダー、生命が輪廻しているのならば、今の原因は来世の結果となり、
王としてこの世を去れば、来世も王としての地位が約束されるのだ。

今のような苦行をしていれば、来世も悟ることなく、
また苦しい修行が待っているということを忘れるな。

お前は、転生輪廻を信じているが、そんなことはないのだ。
お前の生命も、肉体が亡ぶときは、ともに亡びて終わるのだ。

生きている間だけが人生だ、ということを知るべきだ。

お前は、健気に道を求め、苦しみから解脱しようと一所懸命に努力しているが、
無駄な苦労はしないことだ。
天に向かってつばを吐くようなものだ。

苦しんで生きるのも、楽しんで生活して行くのも一生は一生だ。
どうせ、同じ一生なら欲望のままに、優雅な生活を選ぶべきだ。

幸い、お前はカピラの王子として、
将来、全ヨジャナーの大王になることが約束されている。
お前がこのようなみすぼらしい生活をしているとは淋しいことだ。

修行をやめて、カピラに帰りなさい。

私は、神としてお前を守ることだろう。
(『原説般若心経』p.212〜213)
-------------------------------------------------------------------------

投稿時間:2001/10/08(Mon) 10:03
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
『釈迦の本心』の記述
続いて、大川総裁の『釈迦の本心』より、
梵天に化けた魔が、釈尊を惑わしたときの言葉。
--------------------------------------------------------------------
ゴータマよ、わしは梵天である。
梵天であるわしがおまえに語るが、
おまえは悟りを求めて、六年間も修行をしてきたのだろう。
六年間の修行の結果が何だ。
結局、自分が平凡人であることを証明しただけではないか。

おまえは人間の基本を忘れている。
人間の基本は、結婚して家庭を持ち、子供を持ち、
そのなかで幸せに生きていくことだ。
その幸せを捨て去り、妻も子も捨てて、
ピッパラの樹の下で禅定しているおまえなど、生きていて何の意味があるのか。
おまえは間違っている。
早くカピラバストゥに帰り、妻と子を喜ばせてやれ。
そうするうちに、おまえは大悟できるのだ。

人間には、この世の喜びを喜ばずして、
来世の喜びというものがあるものではないのだ。
この世で楽しめるだけ楽しめ。喜べるだけ喜べ。
その喜びの量が大きければ大きいほど、来世の喜びもまた大きいのだ。

おまえは充分に喜んでいないではないか。
もっともっと家族との生活を楽しめ。
もっともっと優雅な日々を送れ。
それがおまえの今世の修行の意味なのだ。
(『釈迦の本心』p.46〜47)
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投稿時間:2001/10/11(Thu) 01:07
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
両者の比較
ということで、高橋先生の降魔成道の記述と大川総裁のそれとは、
表現の仕方に多少違いがあるにしろ、主張していることは、ほぼ同じです。
ちなみに私が感じた文章表現の違いは、
大川総裁は、文系の人だけあって、非常にきれいにまとまっています。
それに対して、高橋先生の場合、理系的な部分が出て、
ギクシャクしたところも感じられますが、
そのかわり、非常に分析的で詳しく書かれています。

書き込みには載せていませんが、釈尊が魔を見破るところの表現も
大川総裁と高橋先生の性格の違いが出ています。
大川総裁は、わりと、サラリと書いているのに対し、
高橋先生は、マーラと対話して、徐々に論理的矛盾をついていくさまを
ていねいに書いています。
魔を退散のさせかたとして、参考になるのは、むしろ、高橋先生の記述だと思います。
さすが、悪霊対策の専門家だ(笑)。

魔は、その存在目的から、必ず論理的に微妙に矛盾することを言い、
徐々に、惑わしていきます。
まったく仏法真理に合致することを言ってしまったら、
惑わそうとしている人を惑わせない(笑)。
それどころか、その人を悟らせてしまうわけですから、意味がないわけです。

それから、「宇宙即我」の悟り。
これに関しても、『原説般若心経』の釈迦伝には、記述があります。
大川総裁は、「方便の時代は終わった」で、
生前の高橋信次を指導し、釈尊の真似をしていたのは、
アーラーラ・カーラーマという仙人ですとおっしゃっていますが、
アーラーラ・カーラーマが釈尊の宇宙即我の悟りを見抜けたのであろうか?
これは、大川総裁が言うには、九次元の悟りであり、
それだけの悟りがないと見抜くことができないのではないか。

そのほか、これは、どうでもいいことかもしれませんが、
旧版の『釈迦の本心』では、村娘スジャーターのことを、
高橋先生の表現と同じ、「チュダータ」と表記しています。
これは、当時、高橋先生に遠慮したため、という考え方もできますが、
大川総裁に来るインスピレーションの発音が、
「チュダータ」というふうに聞こえたのかもしれません。

まあ、総合して考えるに、高橋信次先生は、
釈尊の生涯や悟りについて、かなり正確に把握していたように思います。

投稿時間:2001/10/12(Fri) 00:39
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
超大胆仮説です
さて、ここで、高橋信次先生もしくはエル・ランティについて、
仮説を立ててみたい。

私は、話を長く引っ張ったりするのは、面倒くさい性質ですので、
いきなり、結論を言います。

「エル・ランティは、10次元存在になったのではないか。」

こう考えると、高橋先生に関していろいろなことの筋が通ってくると思う。
エンリルというのは、エル・ランティの本体が10次元に行ってしまい、
残った9次元の部分なのではないか。
高橋信次の転生として、ヤコブ・イスラエルだとか役行者などが
「方便の時代は終わった」等で挙げられているが、
これらは、かつてエル・ランティから分光した霊なのかもしれない。

その他、細かいことについては、思いついたものから、
徐々にカキコしていくつもりです。

念のため断っておきますが、この仮説は、あくまで私の個人的な見解であって、
大川総裁や幸福の科学の公式見解ではありません。

投稿時間:2001/10/12(Fri) 01:41
投稿者名:nuke
Eメール:noncooler@mail.geocities.co.jp
タイトル:
Re: 超大胆仮説です
> こう考えると、高橋先生に関していろいろなことの筋が通ってくると思う。

自分はコンサバティブな人間だと思いました(笑
分光したとすれば、転生していないという部分は辻褄が合いますね。

スウェーデンボルグ霊示集の終わりの方で描写があり、
転生からはユダヤ系統の流れを組む霊人とは思い難く一定の信憑性がある事や、
初期の3億人を云々という所からすると、考えられる部分もあるかと思います。
逆に、パイトロンに因る人為的(?)な分光の失敗に関して初期から概要は変わっていない事等
(ここまで来ると何が失敗で何が予定されていた事か判りませんが)
現在のオフィシャルな解釈にしっくり来るディティールもありますが...

投稿時間:2001/10/12(Fri) 18:42
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
Re^2: 超大胆仮説です
オイラだって、コンサバのつもりだよ〜ん。
伝統や基本をこよなく愛する男(笑)。

でも、ときどき矩(のり)を超えてしまう。
涅槃の道は遠いぜ。

投稿時間:2001/10/13(Sat) 22:11
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
『高橋信次のUFOと宇宙』
『高橋信次のUFOと宇宙』、この本は、あまりにもキャッチーな題名から、
私は、どちらかというと敬遠していた。
宇宙論とか人類創生の秘密とか、それなりに話題としてはおもしろいのだが、
自分には、直接関係ない。
どちらかというと、悟りの方法論とか愛をどうとらえるか、というのが、
当時の私の主な関心であったし、今でも基本的にそうです。

しかしながら、この本には、エル・ランティとは何かということが、
とても詳しく書かれているし、
全体的に9次元の悟りで書かれた本だと思います。
これをテキストにして、高橋信次問題について考察してみたい。

投稿時間:2001/10/13(Sat) 22:52
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
高橋信次先生の惑星意識に対するあこがれ
高橋信次先生は、10次元惑星意識を目指しているような発言を、
いくつかの霊言集でしています。
『高橋信次のUFOと宇宙』でも、次のような文があります。
---------------------------------------------------------------
みんなが高橋信次にあこがれてね、まあ私のファンは多いけどね。
みなさんね、笑っちゃうけど、ほんと私のファンって多いんですよ。
高橋信次霊言ファンってものすごいですよ。
「幸福の科学」の入会願書なんかいっぱいくるけど、
そのうち七割、八割は高橋信次ファンです。
もうはっきり、「高橋先生の霊訓を読んで入会を決めました」
というような人がほとんどです。
それだけ人気がある。

つまり、大いなる母の心境に近づいとるんだな。
もうちょっとがんばって百パーセントになりゃあね、
そんならもう私は今度地球でもやったろかっていう気するんだよ。
もうちょっとがんばって、宇宙即我だからね、地球即我ぐらい簡単ですから。
体を地球大に拡大してね、自分の体をあけ渡す、
「いらっしゃい、いらっしゃい」って
「みなさん、どうぞ自由に使って下さい。私の霊的肉体を」ってね。
こうなりゃあなた、惑星生命ですよ。
もうちょっとだ。がんばらにゃいかん。
そのためにはもう損得度外視してね、すべてのものを受け入れる大きな器だな。
これが大事なんだね。
私は今、この魂修行してるとこです、ね、そういうふうになるように。

だから地球の使命というのはそういう大いなる育みね、
大いなる生成の場、こういうことが地球の使命であるわけだね。
だからそういう意味では、何て言うかな、
非常に大きな存在だし、私たちの目標でもある。
ここまで最後はいくんだ、ね。大きな広い気持ちね。
(p.154〜155)
--------------------------------------------------------------------

投稿時間:2001/10/16(Tue) 09:18
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
エル・ランティの位置付け
エル・ランティは、ベータ星で指導的立場にいた人らしい。
そして、宗教と科学を統合した文明を築きたいと考えていたのだが、
ベータ星では受け入れられず、
その文明実験を行うため、地球にやってきた。
それを受け入れたのが、エル・カンターレだということだ。
地球には、大船団を組んで、6千万人を引き連れてやってきた。

このことが、事実だとすると、
エル・ランティはベータ星にてすでに9次元の霊格を得ていたと言えよう。
そして、今回、新たに地球にて新しい人類の創造、文明の創造を行い。
9次元の修行の総仕上げを行ったのではないか。
エル・ランティは、ベータ星から渡ってきたとき以来、
3次元に肉体生命をもって、下生したことがないというのは、
つまり、それだけ、もう9次元霊の修行は終わっているからだ。

そして、近年、高橋信次として、久しぶりに地上に降立った。
これは、地球人類の文明の総決算をするために出たのだろう。
エル・ランティ、エル・カンターレとダブルで下生して、
一気に地球内での閉じた系としての文明を完成させるために。
そして、それ以降は、人類は宇宙に進出していくことになり、
もはや、地球で完結する文明ではなくなっていく。

・・・そういうわけで、エル・ランティは、地球人類を完成に導いたことで、
9次元の修行課題を終えて、10次元に行ったのではないだろうか。

投稿時間:2001/10/16(Tue) 10:01
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
愛の星、地球
『高橋信次UFOと宇宙』に「太陽系霊系団の特徴」として、次のような記述がある。
-------------------------------------------------------------------
この地球系霊系団と言いますかね、この特徴、霊系団の特徴は何かっていうと、
やはりね、私が見ておって感じるのは、やはり愛っていうものが、
中心になってると思いますね。

愛―他人を愛するっていう気持ちね、これが中心のような気がします。
愛というのがね、一番強い。
他の星に比べてみるとそれほど強くないとこもあるんだな。
愛じゃなくて秩序がほんとに中心のところもあるし、
力が中心のとこもあるんですよ。
力っていうのは別に悪魔だけじゃないんですよ。
力の強さが問題になっているような星もあるんです。ほんとにね。
ま、いろいろあるんです。
それと知能だけが中心になっとるとこもあります。
そういうところもあります。

まあだから愛がね、やっぱり強いように思いますね。
その意味で地球系霊団のことをアガシャー霊団て言うことありますね。
アガシャー系って言うこと多いです。
アガシャー系っていうのは、イエス様の魂系団のことですけども、
やっぱりイエス様が愛を説いてるからね。
ま、その影響が非常に強いということですね。
そういうふうに考えます。

みなさん方はお互いに愛し合わなきゃいけない、
優しくし合わなきゃいけないっていうけど、
こんなことは決して当然のことではないんですよね。
当然愛し合わなきゃいかんなんてことの理由はどこにもない、そんなの。
別に敵であっていいんだ。
みんな生まれてから、生まれ立った以上ね、もう敵ですよ。
そういう考えあるんだよ。
そら男から見りゃあね、
そんな他の男ちゅうのはいつ女を奪われるかわからん敵ですよ、
こんなのね。そうでしょう。
女から見りゃあね、他の女なんちゅうのはいつ私の好きな彼、
取るかもわかんない敵ですよ、ねえ。そういうふうにも思えるね。
みんな敵っていう見方もある。

ところが愛という教えがあるとどうかというと、
「いや、そうではないんだ。
人間にはそれぞれあてはまる先がある、ね。
自分はああいう男性がいいと思うし、
ああいう男性はこういう女性がいいと思うって
お互い取り合いしとったら血みどろになってくる。
だからそこそこの社会的規制のもとに調和ある組み合わせで満足して、
お互いに理想的環境を創っていこう」
ま、こういうのを取り決めていきますねえ。これ根源が愛ですね。

この愛がなければね、血みどろです。
槍でもって殺すとこまでいきますね。
それで本能のまま行きゃおかしくないと思いますよ。
自分はこの人にふさわしいと思ったら、
その人を取る女性が出て来たら、
その女性にガソリンかけて火をつけたりしても別におかしくないかもしれない。
それは、非常に正直で、勇気ある行為だなんてほめられるかもわかんない、
ある星ではほめられるかもしれないけども、
まあ、そういうことが許されないのは、
愛という行為がこの地球では評価されてるから。
ま、こういうことがあるわけなんですね。

ですからアガシャー系と言われるだけの理由がある。
まあそういうふうに私は言えると思います。
つまり太陽系霊系団の特徴は、愛が強いということです。
他の星系団から比べるとね、愛が強い。そう言えますね。
(p.176〜178)
------------------------------------------------------------------------------

投稿時間:2001/10/16(Tue) 22:40
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
今回のテロ事件に関連して
この高橋信次先生の霊言での、愛の記述を見ると、
いま、アフガニスタンとアメリカとの争いの原因が見えてくる。

>この愛がなければね、血みどろです。
>槍でもって殺すとこまでいきますね。
>それで本能のまま行きゃおかしくないと思いますよ。
>自分はこの人にふさわしいと思ったら、
>その人を取る女性が出て来たら、
>その女性にガソリンかけて火をつけたりしても別におかしくないかもしれない。
>それは、非常に正直で、勇気ある行為だなんてほめられるかもわかんない、

まさしくジハードだといって戦うイスラム教徒と
報復だといってタリバンに戦争を仕掛けるアメリカそのものです。

この争いをやめさせるのは、愛の原理しかないのでしょう。
残念ながら、イスラムの教えには、愛の教えが不足しています。
また、アメリカ流の正義にも愛の欠如が見られると思う。
アメリカは、清教徒により作られた国であるから、
当然、キリストの愛の教えを重視しなければならない。
しかし、イエス・キリストは世俗の権力に神の権威は関わらない
という方針をとった。
そのことをアメリカ政府は悪用している。
政治や軍事に関しては、愛の教えを無視している。
にもかかわらず、ブッシュ大統領は「神のご加護あれ」と
何度も発言している。虫のいい話だ。

このように国家間の宗教がからんだ争いが生じるのは、
アラーとかエホバと呼ばれた、エル・ランティの教えに
愛の原理が不足していたためであると、言えるんではないか。

投稿時間:2001/10/19(Fri) 00:41
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
高橋信次先生の魂修行
ズバリ、「愛とは何か」を学ぶ修行であったのだと思います。
高橋先生の生前の教えそのものは、
あまり、愛ということには触れられていないように思います。
釈迦仏教の復活、とりわけ八正道による反省法を、
精神科学や物理法則を使って説明するというのが、主な教えでしょう。

ただ、教えに現れない、日常生活や家族と関係では、
かなり、愛の修行をされたようだ。
弟子とのやりとりにしても、慈悲魔ともいえるようなエピソードが
たくさんあったようだ。
つまり、愛情をうまくコントロールできなかったのだろう。

ベータ星では、愛というのはあまり重視されていなかったと推測される。
なぜなら、科学技術が非常に進み、文明が成熟していたため、
他人の助けを必要とする人があまりいなかったからだ。
生活することにこまるような人はいなかったから、
自己の能力の向上に意識を集中してればよかった。

そして、高橋信次として愛の修行をしたことにより、
エル・ランティに欠けていた愛の原理が注入された。
霊言集での高橋信次先生に、愛に関する記述が多いのは、そのせいだろう。
地上での経験をもとに、愛のメッセージを伝えたのだ。

投稿時間:2001/10/19(Fri) 21:47
投稿者名:goldensoul
Eメール:
タイトル:
Re: 高橋信次先生の魂修行
信次氏の光の看板は発展に次ぐ発展なんでしょうね。
「女性の乳房を創ったのは私だ」というあたり
膨らんで発展するものが好きなんでしょうね(照)
スエーデンボルグが霊界探訪で信次氏の姿を30メートルぐらいの金色の仏像
と表現していましたがやはりその次は惑星意識なのでしょうね
「あなたは自分の上でカンガルーをとばせますか?私はそこら辺がまだ
無理なんですねー」と言ってましたが
おれの場合正直カンガルーくらいどおってことないじゃんと思いましたが。
おれだったら毒コアラぐらいとばしてやるよ。どお?毒コアラ。
かわいいけど触れませんってやつ。ね。くやしいでしょ。もどかしいでしょ。
まぁ、というわけで、信次氏はカンガルーとばせるくらい愛の思いが高まって
晴れて十次元に昇格されたんですかねー。
大川さんが信次氏の惑星なんて火山だの地震だので落ち着かなくて大変だ、と
言ってましたが・・・その惑星での修行は私もちょっと遠慮がちになるかも。
それにしても大川さんが生きているうちにもう一度天上界の様相を語ってもらえるといいですね。たとえそれが方便だとしても。

投稿時間:2001/10/20(Sat) 23:09
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
goldensoulさんへ
お久しぶりです。
読んでてくれてうれしいです。
9次元だの10次元だのと言っても、
オイラの日常生活にはなんの役にも立たないんですけど、
乗りかかった船だ、とりあえず一段落つくまで、カキコするぞ。

それはそうと、最近2ちゃんねるにはほとんど登場しませんね。
今、「よいこ」という名前の自称休眠会員さんが暴れてるんだが、
まさか、goldensoulさんではないですよね(笑)。

投稿時間:2001/10/21(Sun) 05:00
投稿者名:goldensoul
Eメール:
タイトル:
Re: goldensoulさんへ
坊ちゃんこんばんわ(いや、おはようかな?)
確かに9次元とか言っても日常生活とはかけ離れているかもしれないけど
このQ&Aの最大の利点は2chと違って意見が流れて行きずらい点だと思う。
だから自分の意見が後発の人々まで影響されやすいのではないでしょうか。
だから坊ちゃんの意見も賛否は別として会員、非会員問わず参考になる
部分はあると思う。
 個人的には坊ちゃんの意見は大変面白いと思うしこれからもバシバシ
言っちゃって欲しいと思います。たしかに無礼な批判もあるのはつらいですがね。
私も実は名無しで何度かカキコしたことはありますが、こういう固定ハンドル
ネームで自分を出したらどうなるのか、ちょっと実験的に出演してみたかった
のです。正々堂々とカキコしている人の気持ちを知りたかったのです。
それとよいこさんと私は同一人物か?と言うことですが・・・
たぶん坊ちゃんのことでしょうから冗談半分でおっしゃっているのでしょうが
幸福の科学って最近聞かないけどphase5のNo.825あたりからのカキコを見て
いただければとおもいます。
2chはゲリラ戦どころの話ではなくって、誰が誰だかわからないので当然の話ですが、はたして私とよいこさんの個性が同じかどうかは坊ちゃんの判断にゆだねることにします。
やっぱり2chはリアルタイムで反応が返ってくるので応対が勉強になり、おもしろいのですが、どうも啓蒙などには向いていないような気がします。
それからわたしもそろそろ幸福の科学の波動から切り離したい感があるのですが比丘さんの投稿がいま気になっているのでもうしばらく幸福の科学というものを別のスタンスから見直す必要が出てくる可能性もありますね。
ですからまだちょと執着があるようです・・・地獄だか天国だか・・・。
最近どうもどんぐりの霊に憑依されたようでコロコロ気持ちが転がりやすいのでまた気の向くままカキコしますのでどじょうさんとなって相手してやってくださいね。さみしんぼうなもんで・・・。それではよろしくー。

投稿時間:2001/10/23(Tue) 23:57
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
おわびの言葉
>2chはゲリラ戦どころの話ではなくって、誰が誰だかわからないので当然の話ですが、
>はたして私とよいこさんの個性が同じかどうかは坊ちゃんの判断にゆだねることにします。

いや、疑ってごめんなさい。
自分では、そんなはずないと思っていても、
きちんと確認をとっておかないと、不安なもので・・・。
けっこう、石橋貴明な性格、いやもとい、石橋を叩いて渡る性格なんです。

投稿時間:2001/11/25(Sun) 20:41
投稿者名:goldensoul
Eメール:
タイトル:
坊ちゃんへ
坊ちゃんこんにちは、おひさー(死語・・・)
たまーにはこうやってサイト覗いてカキコ見てます。
んで、2chにも遊びに行ったんですけど
坊ちゃん、名無しに対してだいぶ怒っているみたい・・・
ほいで今日カキコしたのはこの掲示板のNo.45さんの「いいかげんきづきなよ」
がもしかしておれの投稿かと思われてるんじゃないかなっと
名前が7743(名無しさん?)になってるけどおれじゃないよ。
おれもあんまり言い訳じみた事言うのは好きじゃないし
人の裏の裏かくのも好きじゃないし、疑ってたらキリ無いしと思って
あえて7743はおれじゃないよって即レスしなかったのさ。
坊ちゃんから丁寧にお詫びの言葉をいただいたしいいかなとおもって。

それにおれね、確かに名無しでカキコするときがあるけど
それってたいがいバカなカキコか、ひとりごとがほとんどよ。
単なる個人の揚げ足取りとか、徹底的に痛めつけるようなことと思えるものはしないようにしてるよ。
どっちかって言うと質問形式だね。証拠は出せないけどほんとだよ。
なんかおれいい人ぶってるけど、いい人だもん。わははっ、自分で言ってりゃ世話無いな。
あっこんな事言ってると加藤締三さんに神経症っていわれちゃうかな?ははは。
(加藤さんの本は昔読んだけど心の王国を築くという点では救済力はあるかもしれないけど
結局自分がどうしたいのかわかんなくなってきて悲しくなった・・・余談)
たしかにおれは大川隆法に対して悪く言ったり疑ったりした発言してるけど
それは人として無責任で矛盾した事を言ってるなと率直な意見をぶつけてるだけだよ。
だから坊ちゃんから見れば敵だろうけどおれもいいところはいいと認めるし、
お世話になったり勉強させていただいた方々への感謝は忘れないよ。

ここでまた正体をばらすとおれね「暗黒魔界の住人」だったのよ。
だからまぁ数々の神秘体験は妄想だとしても、あの比丘さんのノストラの解釈や
よいこさんの意見もそういう見方もあるんだなって逆に面白い。
(よいこさんの場合はちょっと飛びすぎてるけど、おれは否定しないよ。今のところ。笑)
あとね、比丘さんが世の中の色が無くなり喜びのない状態に見えて辛かったというようなことを
おっしゃっていたけど、おれもそれと似たような経験したことあります。
と言っても比丘さんとはちょっと状況が違うかもしれないし、比丘さんのほうが辛かったかも。
まぁ不幸の自慢大会する気はぜんぜんないんだけどね。
それと創価学会という宗教遍歴で痛い目にあっているだけに幸福の科学からも早めに足を洗っただけ。
支部の中にも頑固者がいて散々いやみ言われたりして、まぁ人間不完全だからね。
そういうのがあってもう会には戻らないけど、楽しかったり笑えたこともあったのはたしかですなぁ。

あとねわたくしgoldensoulですけれども、毒キノコたべて涅槃に入っちゃいまして、死んじゃいました。
この文は霊界から送っています。もうgoldensoulは現象界にいません。
なんとどんぐりの霊に憑依されたまま転生したので・・・あとはご想像におまかせします。くだらねー。
じゃあね坊ちゃん元気でね。意見の対立があってケンカすることがあるかもしれないけど
根っこはみんな神仏につながっていると言うことで・・・しーゆーねっくすと。

投稿時間:2001/10/20(Sat) 22:54
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
そしてエル・カンターレ大川隆法総裁の教え
高橋信次先生の釈迦仏教の復活の教えの後に、出た大川総裁は、
今度は、最初から、愛や慈悲を強調する教えを説いた。

そもそも、日蓮からの通信で、
「人を愛し、人を生かし、人を許せ」という考案を示され、
それの答えとして、「愛の発展段階説」という思想を形成したぐらいだ。
幸福の科学の四正道が、愛から始まり、
「与える愛から始めよう」「まず愛あれ」と、愛の大切さを幾度も訴えている。

エル・カンターレは、たぶん、愛と調和の要素の強い神様なのであろう。
それに対して、エル・ランティは進化と戦いの神というべき性格を持っている。
『永遠の仏陀』という書物のなかに、
「仏は、停滞を捨て、進歩を選んだ」という言葉があるが、
これは、エル・カンターレがエル・ランティが地球に来ることを
受け入れたのを意味すると思う。

『太陽のメッセージ』のなかで、金星のユリ星人の話が出てくるが、
エル・カンターレ、いや、エル・ミオーレは慈悲深い性格なので、
金星人が、なるべく苦しい思いをしないようにと、
光合成により食べ物を食べなくても生きていけるような機能を持たせたのだろう。

しかしながら、それでは霊的な進化の速度が非常に遅いということで、
地球での人類は、エル・ランティの進化の遺伝子を入れたのではないか。

投稿時間:2001/10/24(Wed) 00:00
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
エル・カンターレとエル・ランティ、どっちが偉いのか?
またまた、仏神に無礼なタイトルをつけてしまいました(笑)。
でも、こう言ったほうが、わかりやすいでしょ。

それで、また大胆仮説ではあるんだけど、
幸福の科学の次元論で、
七次元と八次元の境界に梵天界があり、
八次元と九次元の境界に狭義の太陽界があると言われている。

だとすると、エル・カンターレとエル・ランティは、
九次元と十次元の境目ぐらいにいるのかもしれない。

エル・ランティは、これまでの書き込みから察するとおり、
九次元から、まさに十次元に行かんとするところにいるのだろう。

一方、エル・カンターレはどうなのか?
この場合、逆に、本来十次元の霊存在であるにもかかわらず、
光を落として九次元の人格を持った霊人として人類を導いているのではないか。
ちょうど、日蓮が、本来は如来であるにもかかわらず、
梵天界にとどまり、菩薩の法を説いているようなものだ。

投稿時間:2001/10/27(Sat) 10:54
投稿者名:7743
Eメール:
タイトル:
いいかげんに気づきなよ
> だとすると、エル・カンターレとエル・ランティは、
> 九次元と十次元の境目ぐらいにいるのかもしれない。
 今、大川隆法は高橋信次氏のことを「仙人」だと言ってるんだろ。
 大川隆法は高橋信次氏のことを何億年も前から知っていると主張している。それなのに、高橋信次氏が高級霊(9次元の存在か、10次元の存在かは知らないが)なのか、仙人なのか、僅か数年のうちに言うことがコロコロ変わっている。
 これを見て、「おかしい」と思わない方がどうかしていると思うよ。
 そういえば、高橋信次氏の著書「悪霊」にも、悪霊の特徴として言うことがコロコロ変わる、というのがあった。

投稿時間:2002/01/27(Sun) 22:26
投稿者名:いちご
タイトル:
Re: いいかげんに気づきなよ
> > だとすると、エル・カンターレとエル・ランティは、
> > 九次元と十次元の境目ぐらいにいるのかもしれない。
>  今、大川隆法は高橋信次氏のことを「仙人」だと言ってるんだろ。
>  大川隆法は高橋信次氏のことを何億年も前から知っていると主張している。それなのに、高橋信次氏が高級霊(9次元の存在か、10次元の存在かは知らないが)なのか、仙人なのか、僅か数年のうちに言うことがコロコロ変わっている。
>  これを見て、「おかしい」と思わない方がどうかしていると思うよ。
>  そういえば、高橋信次氏の著書「悪霊」にも、悪霊の特徴として言うことがコロコロ変わる、というのがあった。

投稿時間:2002/01/27(Sun) 23:23
投稿者名:いちご
タイトル:
Re: いいかげんに気づきなよ
あれ?すみません。手違いで・・。
本題ですが、高橋信次先生を知らない方は、大川さんの高橋信次霊言集を、本物か偽者か区別がつかないものなんでしょうね。私もかなり前に高橋信次の名前に惹かれて、何冊か読みました。でも、おそまつでびっくり。もう、嘘だなってすぐ気づきました。生前の先生の、ユーモアのあるところは、ビデオを見れば特長は似せられますよね。高橋信次先生は、あの程度の内容をずっとふざけた調子で話す方じゃありませんでしたよ。天上界に行った途端あのレベルになるとは思えません。信次先生のおられない事を良いことにうけうり教祖になって、あげくの果てには裏だとか仙人だとか、都合が悪くなると自分勝手に謗って言いたい放題。会員の方は納得しないで、矛盾に気づいて欲しいです。おっしゃるように、コロコロ発言が変わるのは悪霊の特徴ですよね。悪霊も愛は説けるけど、ボロがでるそうです。真実は明らかになりますよね。
原久子という人も脱会してるんですね。園頭さんが大川さんやこの人の事、相当怒ってましたね。

投稿時間:2001/11/03(Sat) 15:04
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
『宗教文明の激突』
11月の大川隆法総裁先生ご法話拝聴会『宗教文明の激突』の要旨を書き込みします。
アラーの神はエル・ランティを指しているというのは、
初期の大川総裁の教えにもありましたので、
高橋信次問題とも関わるんではないかと思います。

そして、テーマが多くの人に知っていただきたいものであると、
私個人は思いましたので、その内容を公開する次第です。

ちなみに、もし、幸福の科学の本部等の方で、
「公開は、あいならん」ということであれば、メールでご一報下さい(笑)。

御法話拝聴会の動員数が減ってはいけないので、
最初の1週間は本論の手前あたりの内容をカキコします。

投稿時間:2001/11/03(Sat) 15:22
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
要旨その1
こんにちは。
先般、ニューヨークで世界貿易センターに
ハイジャックされた飛行機が突っ込み、数千人の被害があった。
アメリカはテロに対抗するということで、アフガニスタンと戦争始めた。

私は、宗教のほうに力点おいてどういうふうに感じるか話したい。

アメリカは文明対テロの戦いと言っているが、事実はそうではない。
宗教を背負った文明の激突。
だから、話は大きくなる。

今回の事件をさかのぼって見る。
バーミヤンの大仏がタリバンに破壊された。
ロケット砲かなんかで爆破。
私は「いやなことするなあ」と思った(笑)。
しかし、さすが仏教徒。攻め込む人はだれもいない。
私も攻撃せよとは言わなかった。
しかし、心は傷みました。
世界的な芸術的遺産が破壊されたとして惜しむ声はきこえたが、
仏教徒たちは、宗教的には思考停止していたと思う。

テロで破壊されたビルのうち、ワールドプレスセンターは、
私が十数年前働いていたところ。
実家をつぶされたような気がした。
大仏の破壊につづいて、「いやなことするなあ(笑)」と思った。

テロ対文明の戦いと言ってしまえばそれまでだが、
実際は第2次世界大戦での日本とアメリカの戦いと似ていた。
それで、アメリカは真珠湾攻撃や特攻隊を喩えとして持ち出す。

投稿時間:2001/11/03(Sat) 15:26
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
注:みなさんにお願い
この要旨は、私が書いたメモをもとにしています。
文章は、断片的なものをそのまま載せますので、
読みにくい点、ご了承ください。

また、聞き間違い等、あると思いますので、
気づいた方は、ご指摘お願いします。

投稿時間:2001/11/04(Sun) 21:10
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
要旨その2
アメリカは、先の第二次世界大戦をファシズム対民主主義の戦いだと言ったが、
うらを取れば、キリスト教対日本神道。
ドイツとの戦いは、黒魔術対キリスト教。

愛の教えのキリスト教徒がなぜこれほど戦いをするのかというと、
キリスト教にもゲルマン民族の精神が入っている。
ゲルマンの原始宗教と混交した。
征服されたゲルマン民族にも信仰があった。
ゲルマンは海賊をしていたこともあり、戦いの性質が強い。
そして、キリスト教に影響を与えているユダヤ教も戦闘性の強い宗教。
背景にはそれがある。

イスラム教はキリスト教の次に出てきた。
キリスト教は旧約の教えも取り入れているが、
ユダヤ教はキリストを救世主として認めていない。
ムハンマド(マホメット)はユダヤの預言者も認めているし、
預言者の一人としてキリストも認めている。
ただ、ムハンマドは最後の預言者としている。

イスラム教徒たちは、自分たちの教えを平和の教え、寛容の教えだと主張している。
なぜなら、イスラム教のほうが、ユダヤ教やキリスト教を統合しようとしているからだ。

キリスト教は、イスラム教の一夫多妻を認めているところをよく攻撃する。
動物的な教えじゃないかと。
しかし、これはムハンマドが生きていたころ戦争で寡婦がたくさん出た。
そういう弱者救済のためにとられた措置。
ムハンマドは、このキリスト教側の非難にたいして、
「一夫多妻も楽なもんではないぞ。
妻たちの間の嫉妬が起きないように平等に扱わねばならない。
それに実際は一夫多妻といっても奥さんと愛人がひとりぐらいだ」
と反論している。

投稿時間:2001/11/07(Wed) 20:30
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
要旨その2 解説
> ドイツとの戦いは、黒魔術対キリスト教。

ヒトラーは、黒魔術系統の霊にそうとう支配されていました。
キリスト教系にも、日本でいう仙人・天狗系統のようなものがあり、
そのなかで、魔術系に白魔術と黒魔術があります。
白魔術は、やや明るいというか、ややよいほうです。
一方、黒魔術は悪さをするほうです。
黒魔術の系統はゲルマンの森にかなり巣くっていて、
ヒトラーは生前、この黒魔術霊界からそうとう影響を受けていたのです。
(『奇跡の法』p.109)


> イスラム教徒たちは、自分たちの教えを平和の教え、寛容の教えだと主張している。
> なぜなら、イスラム教のほうが、ユダヤ教やキリスト教を統合しようとしているからだ。

その後、紀元六世紀、西暦570年頃、
マホメット(ムハンマド)という人を中東の地に下ろしました。
この人は、すでにあるユダヤ教やキリスト教も正しい教えであり、
そうした宗教をつくった人たちも、
神から出された預言者であるということを認めたうえで、
自分を最終にして最大の預言者として位置づけて、
アッラーの言葉を伝えたわけです。
(『宗教選択の時代』p.192)


> キリスト教は、イスラム教の一夫多妻を認めているところをよく攻撃する。
> 動物的な教えじゃないかと。
> しかし、これはムハンマドが生きていたころ戦争で寡婦がたくさん出た。
> そういう弱者救済のためにとられた措置。

キリスト教徒からは、
マホメットが最初の妻ハディージャ死後、
愛妻アーイシャをはじめ、十人を超える妻を迎えたことや、
イスラム教では一夫多妻を認めることを根拠に、
イスラム教を悪魔の教えとする考えが根強くありますが、
相次ぐ宗教戦争で寡婦や孤児が多数出現したイスラム教徒たちに対して、
当時なりの社会福祉政策として許可した面、
女性たちへの公平な接し方を義務とした面も、
特記しておくべきでしょう。
(『黄金の法』p.299)

投稿時間:2001/11/06(Tue) 11:29
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
要旨その3
イスラム教は偶像破壊するが、キリスト教にもそういうところある。
ギリシャ正教も平面の絵ならいいが、立体の像はダメ。
イスラムからすれば、たくさんの仏像を立てている仏教は邪教になってしまう。
アラーというのは“The God”という意。
だから、イスラムでは姿形なき神様の像をつくるのは好まなかった。
それが同時に他宗の迫害の理由になった。

ただまあ、この姿形ないというのはそのとおりですが、
表現形式をあるていど認めないとどう信仰したらいいかわからない。
イスラムでも祭壇のようなところに布入っている。
日本神道は石が入っていたりする。
神代の時代、神々がどんな姿をしていたかわからなかったから、石で代用している。

宗教に関しては、表現形態、行動形態、いろいろあるが、
それだけをとって正邪を分けられないところある。

13世紀始め、イスラム教徒がインドに入ってきて、
寺院は破壊され仏教徒は皆殺しにされた。
仏教は出家者いなくなればおわり。
イスラム教そのものが戦いの思想持っている。
寛容の思想ももっているが、マホメットも迫害されたため、
祭政一致して、戦争で土地を奪い返した。

そして、そこではイスラム教以外の宗教の信仰も認めたのだが、
ただし、イスラム教徒は税金を払わなくてもよく、
他宗は払わなくてはいけないとした。
名目上は、他宗を肯定しているが、
結局、税金を払わなくてすむイスラム教に改宗する人が増え、
アラビア半島にイスラム教が広がった。
教祖のやり方を弟子がまねをしたのだ。

旧約の預言者たちはみな殉教した。
キリストも迫害され死に、モーゼもカナンの地にたどりつく前に死んだ。
しかし、マホメットはこの世でも勝った。
マホメットは最強の預言者だ。
・・・イスラム教徒はこのような考え方をしている。

投稿時間:2001/11/10(Sat) 21:37
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
要旨その3解説
> イスラム教は偶像破壊するが、キリスト教にもそういうところある。
> ギリシャ正教も平面の絵ならいいが、立体の像はダメ。

西暦四世紀にキリスト教がローマの国教になったあと、
今度は、かつては迫害されていたこのキリスト教が、
それ以前の宗教を迫害しはじめました。
はっきりいえば、ローマ建国以来の神々をローマの人たちは祀っていましたが、
キリスト教徒は、ローマの神殿を破壊し、このローマの神々を全部打ち壊し、
それだけでなく、ローマに入り込んでいたギリシャの神々をも否定しました。
(『宗教選択の時代』p.223)


> 13世紀始め、イスラム教徒がインドに入ってきて、
> 寺院は破壊され仏教徒は皆殺しにされた。
> 仏教は出家者いなくなればおわり。

仏教がインドで事実上消滅した理由はいくつかあります。
一つは、十二世紀から十三世紀にかけて、
イスラム教徒が乱入してきて、
仏教の寺院を破壊し、僧侶たちを皆殺しにしたことです。
出家者中心だった仏教は、
僧侶が殺されたら跡を継ぐものがいなくなって、
事実上、壊滅状態になったのです。
イスラム教徒による乱暴狼藉のために消えたということが一つです。

もう一つは、ヒンズー教のように、
冠婚葬祭に密着した生活密着型の宗教になりえていなかったということです。

要するに、仏教が思想的、学問的なものだったので、
経典を償却し、プロの僧侶を殺してしまえば、
もはや伝わらなくなるという弱点があったのです。
つまり、充分にインドの国に根を下ろしていなかったわけです。
(『悟りの挑戦・下巻』p.171〜172)

> イスラム教そのものが戦いの思想持っている。
> 寛容の思想ももっているが、マホメットも迫害されたため、
> 祭政一致して、戦争で土地を奪い返した。

彼(マホメット)の新宗教は、貧民、奴隷などの支持を受けて、
燎原の火のように広がっていきます。
しかし、宗教的にも政治的にも支配者であったクライシュ族に迫害され、
マホメットは、622年にメッカを追われ、
現在のメジナ、ヤスリブに移りました。
これが「ヘジラ」と言われた聖なる転戦です。
ここでマホメットは、教団を組織し、軍隊をも指揮して、
630年メッカに攻め上り、これを制圧。
すなわち、アラブ諸民族の統一を図ったのです。
(『黄金の法』p.297)

投稿時間:2001/11/07(Wed) 20:33
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
要旨その4
原理主義と名がつくと争いが多くなる。
教祖の生きていた時代に戻ろうとするから、
現代社会とのあつれきが生じるのだ。

今回のテロは、ビンラディンが画策したもので、
飛行機ごと自爆するというのは確信犯的なもの。
彼らの間の教えでは、ジハードによって死んだものは、
天国に還って美女百人に迎えられるとしている。
それを信じていたら、「死んでもいいかな」と思うところあるかも。
まあ、たぶん自爆した人はがれきの中で迷っているだろうが。

彼らは悪魔の国の総本山はアメリカだと思っている。
イスラムは貧しいから平等を求めている。
だから、イスラムの指導者はあくまでも教えの研究者とし、
他の人より特別身分が高いとはされない。

アメリカの自由は貧富の差を生じさせる。
ベールで顔を隠す。戒律で抑え込む。
これらは貧しさのもとでは成り立つが、豊かさでは成り立たない。
みんながお金持ちで平等ということにはならない。
みながお金持ちになったら、インフレになって結局お金の値打ちなくなるでしょう?

ピラミッドを造っても必ず三角になる。
これを逆さにするとつぶれてしまう。
どこがつぶれるか?上層部の豊かな人たちの層がつぶれる。
この頂点を潰そうとする考え方は、嫉妬の思想。
ですから、21世紀のイスラムは、20世紀の共産主義に代わる可能性ある。
かつての社会主義・共産主義の貧しさの平等。
そして、それが戦争の契機になる。
昔の時代に戻ろうとしている。

投稿時間:2001/11/10(Sat) 22:26
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
要旨その4 解説
> 原理主義と名がつくと争いが多くなる。
> 教祖の生きていた時代に戻ろうとするから、
> 現代社会とのあつれきが生じるのだ。

釈尊七十代の晩年に、提婆達多が、
「初期のころは『出家者は家の中では寝ない。
托鉢だけで生活する。着物も糞掃衣で通す』と言っていたのに、
教団が大きくなるにつれてだんだん贅沢になってきた。
やはり原点に返って、乞食体制に戻るべきだ」と主張し、
教団運営をめぐって対立が起きたのです。

釈尊は、「大事なのは内容であり、運営方法にあまりこだわる必要はない」
と考えていたので、
在家の人たちから経済的な布施を受け、
それを充分に活用して教団を維持する方法をとりました。
ここが対立点の一つであり、非常に重要な点でもあります。
この考え方を見ると、釈尊という人は、
いわゆる原理主義ではなかったことがよく分かります。

現在でも、仏教やキリスト教、イスラム教などの原理主義者たちは、
原始教団ができたときのやり方を
杓子定規にそのまま真似ようとする傾向があり、
「違うやり方を絶対に許さない」という
非常に潔癖な宗教活動をしがちです。

そのため、彼らは、現代においてはテロリストになることが多いのです。
「箸の上げ下ろしのような、多少の作法の違いも許さない」
という厳しい責め方をしていると、
最後は相手を抹殺するところまでいってしまうわけです。

したがって、原理主義運動をしている教団は、宗教を問わず、
どこも反体制的な運動やテロリスト的な運動をすることが多いようです。
「少しの違いも許せない」という気持ちが強いのでしょう。
非常に潔癖で杓子定規な発想をし、
寛容の精神がほとんど見られません。

これは、「応用がきかない」という、
知性、知力の欠如の問題でもあります。
彼らは、時代が変わっても、その変化を認めることなく、
何百年前、何千年前と同じようにやろうとします。

 そのような考え方のなかにも純粋な信仰心はあるのですが、
タイムマシンで時代をさかのぼったように過去の段階のままで止めようとすると、
それが時代錯誤を生み、反社会的行動につながりやすいのです。

仏教においても、釈尊没後4,5百年ごろに盛んになった大乗運動に対して、
「大乗仏教は仏(釈尊)の説いたものではない」という
「大乗非仏説」がありますが、それは正しくありません。
大乗への流れは、釈尊自身が許容した範囲の運営方法の変化、
活動形態の変化であると言ってよいのです。
(ご法話拝聴会もしくは月刊誌1999年7月号『釈尊からのメッセージ』より)

投稿時間:2001/11/10(Sat) 19:49
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
要旨その5
イスラム教徒たちからすれば、アメリカはいいかげんな国家に見える。
ウォールストリートはユダヤ人が実権握っている。
アメリカはキリスト教の国なのに、ユダヤ人にお金を握られている。
そして、アメリカはイスラエルを守っていたりする。
エルサレムは3つの宗教の聖地である。
にもかかわらず、イスラエルはアラブの人々を追い出して国をつくった。
今回のテロでのアメリカの被害を見て、イスラム教徒は気分は悪くない。

しかし、嫉妬は嫉妬である。
イスラムは嫉妬の合理化をしているところある。
「アラーは最高の神。
それを信じている我々が貧しいのは、アメリカの悪魔の繁栄のせいなのだ。」
と、貧しさを自分たちの原因にせずアメリカのせいにしている。
これは、マルクスの思想とちょっと似ているところがある。
マルクスは無神論、唯物論と一般にはいわれているが、
旧約聖書の教えに影響を受けているところもある。

アメリカとイスラムの争いは、自由と平等が戦っている。
アメリカから見れば、イスラム社会の抑え込みは全体主義に見える。
まるで、女王アリに働きアリがむらがっているように見える。

平等もいいところあるが、時間的にひきずると各人が努力しなくなる。
みんなが同じレベルになるように抑えこむようになる。
かつて、カンボジアのポルポト時代、フランス語ができただけで殺された人がいた。
平等の世界ではそのような能力は必要なく排除されるのだ。
よって、平等というのは貧しさの平等以外には成立し得ない。

イスラム教では、利子の禁止規定あるので、金融経済が発達しなかった。
宗教の時代性・地域性の制約は必ずある。
それが、後の時代には悪になることもある。
仏教も昔の出家のスタイルを引きずって、
背広着るの許さない、スカートはくのを許さないとなると、
現代に通用しなくなる。

投稿時間:2001/11/12(Mon) 22:22
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
要旨その6
本当の意味で寛容性を持つのは、仏教しかない。
しかし、滅びやすいところある。

幸福の科学は仏教精神に基づいているが、
ヘルメス的なものもある。
このヘルメス的な部分が、アメリカ的なものが少し入っている。
商業的なところとか。

幸福の科学では、暴力は肯定していない。
しかし、努力の成果は認める。
平等は、あくまでチャンスの平等。
ただ、貧しい人が増えたときは、少し持ち上げてやる必要はある。

死んだら仏様になれるというと全体のレベルが下がってしまう。
チャンスは平等だが、修行による結果の差は認める。
そして、脱落した人についてもそのままにするのではなく、
地獄に落ちた人も救おうと努力していく。
あの世に次元構造があるということは、
個人の人生の結果を判定しているということ。
地獄と天国をいっしょにしたらいいじゃないか、という人がいるかもしれないが、
そうしたらみんな地獄になってしまう。
ただ、救済しようとはしている。

差別観と平等観があり、これが、縦軸と横軸をなしている。
これは座標軸みたいなもので、この二つの軸がないと
位置が決まらない。
たとえダイヤモンドでもゴミためのなかにあったら、
そのまま身に付けられない。
同じダイヤモンドでしょう?と言ったところで、
やはり、汚れを取るなりするでしょう?
だから、地獄にいる人もダイヤはダイヤなのだが、
表れ方に違いがあるということ。
これは譲れない!
今世の修行を無視してというのはダメ。

アメリカの南北戦争でも、
黒人は最初から白人と同じチャンスを与えるのはダメ、
というのはダメというとこで始まった。
黒人は石炭で白人はダイヤだということはない。
それは平等。

しかし、悪平等は認めない。
例えば、学校に一定の黒人枠を取り、
どんなに勉強できなくても一定数は必ず黒人が入れるとか。
男女にしても、当然、チャンスは同等に与えられるべき。
しかし、どんな仕事の仕方でも結果は同じというのはダメ。

自由だけ取りすぎても平等だけ取りすぎてもダメ。
自由と平等という概念はフランス革命以来重視されてきたが、
なぜか流血が多い。
兼ね合いが難しいのだろう。
仏教的には中道ということです。

民主主義には大きく分けて平等の民主主義と自由の民主主義がある。
しかし、根本は機会の平等と結果の自由であるべき。
そのなかで一定の救済の原理が働くようにすべき。

投稿時間:2001/11/17(Sat) 19:12
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
要旨その7(最終回)
今回、ビンラディンがアメリカを攻撃したのは、嫉妬の原理働いている。
この辺が、彼の人間としてのせまさ。
新たなる覇権戦争が始まっている。

7世紀ごろ中東は数学などの科学技術が発達していた。
それで勢力を拡大していくうちにキリスト教圏とぶつかった。
ヨーロッパはエルサレムを奪回しようとして十字軍を組織して、
イスラム圏と戦った。

今回も同様なことが起こっている。
イスラムはキリスト教が繁栄しているのは許せない。
マホメットは最後の預言者なのに・・・。
そして、イスラム教は社会主義に変わってくる。
底辺層の人々をとりこむようになってくる。
このあたり、オーム教と似ているところもあるのだが、
ただ、イスラムはオームと違い多くの人々に受け入れられている。

結局、最後の預言者だの唯一の神だのと言うのはいいが、
そうしたとき、次に出てきた宗教はどうする?
例えば、天理教では天理市が宇宙の中心だとしているが、
教団が小さいうちはそれでいい。
しかし、世界に広まっていったときにそれで通用するかどうかだ。

結局、日本神道が世界宗教化に失敗したのは、そのへんに原因がある。
ただ、日本神道を世界に広めることには失敗したが、
日本という国は、文化・文明としては世界のナンバー2になった。

では、世界宗教化ということに関して、
幸福の科学の教えはそれに耐えうるだろうか。
四正道の教えから見ていくと、
愛の教え・・・これはずっと残る普遍的な教えであろう。
知・・・・・・この知の原理があることによって、昔戻りの宗教にはならない。
反省・・・・・これが教えを信じている人たちが唯我独尊になることを防ぐ。
発展・・・・・社会がよくなることを肯定している。

アメリカに貿易センタービルが建っているのを見て、
「我々より発展していて許せない。我々が貧しいのは彼らのせいだ」
と考えるのでなく。
「よし! じゃあ日本にも同じようなもの建ててやろうか」
と思わねばならない。

今後、私たちはキリスト教、仏教、イスラム教とどうかかわっていくべきか。
マホメットの教えに関しても、まあ、好き嫌いで見てよいと思う。
多くの人に受け入れられたときどうなるか。
どっちが生きやすいか見て選べばよい。
最終的に広がった場合どうなるか。
そう見ていくとオーム教、イスラム教それぞれわくは決まってくるでしょう。

そして、幸福の科学はどこまで広がっていくことが許されるか。
広げていって、ぶつかったところでイノベーションするかどうか。
それでまた違ってくるでしょう。

今回のアメリカとタリバンの戦いは、軍事的にも政治的にも
勝敗がどうなるかは見えている。はっきりいって話にならない。

そこで幸福の科学はイスラムに対してどういう態度を取るか。
私たちにとってイスラム教は許しがたいものがある。
彼らの論理からすると、当然、正心館にロケット砲撃ち込んでつぶそうとするでしょう。
それは許すわけにはいかない(笑)。
まあ、彼らも一度、負け戦を経験する必要あるのかな。
それで始めて、「アラーより、どうも、偉い人がいるようだ」
ということに気付くんでしょう(笑)。

イスラムはこのままではよくない。
人権抑圧的な部分がありすぎる。
ですから、姿かわって生き延びるかどうかでしょう。
そのときキリスト教化するか、もしくは幸福の科学化するか。

まあ、私は戦争に訴える宗教は好きでない。
ただ、今回のテロでは、国としては報復するしかないんでしょう。
しかし、アメリカもならず者国家のようなところある。
平気でヤクザとくっつくようなところとか・・・。
日本が政治的にどのような態度を取るかですが、
基本的に戦争は負けるほうにつくべきではない。

私としては、今後1000年を見通し計画を立てている。
当会も大きくなってくるにしたがい、国際社会で文明の衝突もあるでしょう。
そこで試されるのは、本心で人類の幸福を願っているかどうかです。

ありがとうございました。
(了)

投稿時間:2001/12/02(Sun) 10:56
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
政治家の過去世について
主として、政治家の過去世について、
小冊子『宗教改革の精神』と、小冊子『逆境からの脱出』から引用する。
当時、800円で売ってたやつですね。

『宗教改革の精神』の小冊子には、
1992年の第一回特別新年祭参拝記念のスタンプが押されてた。
なつかしいなあ。
この『宗教改革の精神』は、書籍『悟りに到る道』に載っているものにも、
過去世に関する記述があるので、
まずは、『逆境からの脱出』のほうから引用する。

投稿時間:2001/12/02(Sun) 10:58
投稿者名:坊ちゃん
Eメール:fullnelson88@hotmail.com
タイトル:
『逆境からの脱出』その1
今日は「逆境からの脱出」という演題での話です。

ところで、今、いちばんの逆境に陥っているのは、
いったいどういう立場の人であろうかと考えてみると、
ある意味で政府・自民党かもしれないというふうに考えがいたりました。
そこで、みなさんの大方の予想とは裏腹に、
政治の話から始めてみたいと考えております。

昨今の報道を見るにつけても、
今、政治は明らかに逆境のなかにあると思われます。
そう感じている方が多いでしょう。
宮沢政権そのものも逆境であり、
症状的にはもう末期の段階にきていて、そう長くはないと思います。
しかし、一つの政権そのものの寿命うんぬんということが
今日の演題ではありません。
大きな意味において、与党である自由民主党そのものが、
今、大きな逆境のなかにあると思います。
そして、各種マスコミによっていろいろと取り沙汰されており、
また、それに動かされるかのように一部世論も動いております。
しかし、こうしたときには、一つの視点、定点なるものをしっかり持って見ておかないと、
何ごとも判断を間違いやすいものです。

そこで、まず最初に、現在の政治のあり方について、
霊的な視点、あの世からの情報も交えて、
若干の意見を述べてみたいと思っています。

いちばんの大きな問題は、最大派閥である竹下派の混乱ということになっていて、
そのなかで二派に分かれての綱引きが始まっております。
そして、それが一派閥だけではなくて自民党全体の問題になるのではないか、
さらには政治そのものはいったいどのように動いていくのだろうか、
こういうところが国民的な大きな話題になっていると思います。

私は昨年、ベイNKホールでの講演会(「宗教改革の精神」)で、
自民党の総裁候補者たちの過去世、あるいはその周辺にいる方の過去世について、
若干お話をいたしました。
その講演は、最近、『悟りに到る道』(幸福の科学出版刊)という単行本に収録されて、
活字としても出版されています。

実際、今の政権の中枢には、
かつて日本の戦国時代に武将として出た方がたが、数多く出ております。
宮沢喜一さんは違いますけれども、
たとえば、三塚派の三塚博さんは加藤清正という武将でしたし、
渡辺派の渡辺美智雄さんも蜂須賀小六という武将でした。
ちずれも天下取りの際に活躍した方です。

また、いま渦中の人物である小沢一郎さんは伊達正宗という方であった
という話もいたしました。
それが功を奏したのかどうか、がんばって暴れておられるような気もします。
自分がやらなければいけないと思っておられるもかもしれません。

しかし、この話にはまだ続きがあるのです。
今、その伊達正宗の生まれ変わりである小沢一郎さんの
政敵になって現われてきつつある方で、梶山静六という方がいます。
この方の過去世を見てみると、蒲生氏郷(がもううじさと)という武将です。
ご存知ない方も多いかもしれませんが、
幼少時に人質として信長に差し出されて、信長の小姓をしているうちに、
その能力を認められて、やがて武将になり、
後に秀吉の家来として活躍した方です。

この蒲生氏郷という方は、
あの“独眼竜正宗”が天下取りをねらっているということを察知した秀吉が、
正宗をなんとかして封じ込めなければならないということで、
東北に送り込んだ人なのです。
そして、この蒲生氏郷は、
本来百万石が欲しかった正宗を、六十万石あたりに押さえ込み、
その領地の一部も奪って、
彼が身動きが取れないように封じ込めたのです。

また、江戸すなわち関東には徳川家康がいて、
これも豊臣政権を覆すことをねらっておりました。
秀吉は、正宗を封じ込み、
また、もし家康が秀吉に謀叛をおこすなら、
背後からこれを襲わせるという戦略のもとに、
正宗と家康のちょうど中間点に
この氏郷という人を送り込むという配置をしたわけです。

そのときに氏郷自身は、
「今日の近くにいれば天下も取れるものを。関東に行ったんでは取れなくなってしまう。」
といって、涙ながらに赴任するわけですが、
結果的にはそれが功を奏して、正宗は封じ込められることになりました。

それから四百年が経ち、また、今あのように派閥争いをしているわけです。
「歴史は繰り返す」と言いますけれども、
まったく同じようなシチュエーション(状況)が出てきています。
ですから、小沢一郎さんが天下を取れるかどうかは、
蒲生氏郷を切れるかどうかにかかっているわけですあって、
切れなければ取れないという結論になるわけです。